ABOUT ME


 

はじめまして♪ アニマルコミュニケーターでレイキヒーラー の Naoです。

幼少期から自然や動物、色んなものに話しかけて意思疎通することが普通の毎日でした。
大人からみたらちょっと不思議な子供だったと思います。

動物が大好きで特に犬との縁が深く、ただただ犬が大好きな私の自己紹介です。


生まれ

里帰り出産をしていた母の故郷の秋田県にて生まれました。ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんにとても可愛がられて、秋田の大自然の中で生後数か月を過ごしたそうです。その後も学校の休みに入ると秋田からお迎えが来て自然豊かな中でのびのび過ごしていました。今でも山の景色が好きで落ち着きます。


最初の犬との出会い

私の一番最初の犬の記憶は、秋田犬の『ゆきちゃん』。神奈川県の自宅近所のおば様の飼われていたゆきちゃんは、大きな体でとても優しい秋田犬でした。彼女のことが大好きな私は、自分の朝ごはんの残りのパンの耳を手渡しするのが日課でした。あまりにも大好きすぎて彼女の小屋に入り込んで一緒に寝るのも大好きでした。


初めての自分の犬

動物、しかも犬が大好きだったのでどうしても犬が欲しいと両親に懇願。幼稚園の時に我が家にやってきてくれたのがペキニーズの『ファラ』でした。その当時の私の思う犬像は映画ラッシーで有名なコリーやジャーマンシェパード、秋田犬。すべて大きくてマズルの長い犬でした。ファラが来てくれた当日。幼稚園から帰ってきた私の目に飛び込んだのは鼻がぺちゃんこで身体の小さな毛むくじゃら。それがファラの印象でした。ファラはペキニーズらしいペキニーズだったので、やりたくないことは絶対にしない。気に入らなければ怒られる。子供だった私はファラを通して、犬のボディーランゲージを覚えていきました。それだけ私へのしつけが厳しかったファラですが、共働きの両親を持ち、かぎっ子だった私にとっては、時に母だったり友達だったり。とても大好きな家族でした。
こんな私でしたが、ほかの動物から本気で怒られたりしたことはありませんでした。おそらくファラがしっかりしつけてくれたお陰だと思います(笑)
学校の通学路にはたくさんのお友達(動物たち)がいて、学校につくまですべての動物に挨拶するのもこのころの日課でした。


海外へ留学: アメリカでも動物に話しかけ見た結果


子供のころから祖父や祖母とは秋田弁、母の友人のアメリカの方と遊んでもらう時は英語ととてもありがたい環境にあったので言語は私にとってとても楽しいツールでした。きちんと英語を勉強して海外の人と繋がりたいという思いはどんどん大きくなりました。そんな私の夢を両親が理解しサポートしてくれたお陰で、念願のアメリカへ留学することが出来ました。
親元から離れて寮生活の中、同年代のルームメイトと暮らしながら色んな事を吸収できた素晴らしい体験でした。
そんな生活の中でも動物と接する場所や機会がたくさんありました。
学校の寮は学校の敷地内にあり、学校を中心に一つの町になっていました。先生や学校の関係者の方もその敷地内で暮らしている方が多かったので、先生が飼われている犬と散歩をしたり、乗馬に力を入れている学校だったので、馬場に行き馬と遊んだり。時には学校の庭に野生のスカンクや鹿やリスが現れていました。そこでも、動物に話しかけて、色んな話題を話し込んでました。
この時ふとわいた疑問が、動物には日本語でも英語でも通じていた事でした。そこで私自身で出した答えはきっと彼らはどんな言語でもわかちゃうスーパーパワーの持ち主なんだということでした。今思えばそれで正解なところがありますね。

卒業そして日本に帰国 米軍基地の動物病院にて勤務スタート

 

帰国後は米軍基地の中にある動物病院にて秘書のお仕事をはじめました。動物病院というくらいですので毎日動物に囲まれて楽しく仕事が進みました。時には生まれたばかりの子猫たちのお世話をしながら事務仕事をしてました。(懐かしい)

この時実家に犬は居ませんでした。アメリカ生活の最後の年に私を育ててくれた最初の犬『ファラ』が虹の橋を渡っていたのです。自宅に犬の居ない生活はなぁ…と思い探していた時に出会ったのが真っ白いふわふわのペキニーズの『Lydia(リディア)』でした。飼い始めてからわかったことだったのですが、彼女は生まれつきの心臓の病気を持って生まれてきたため私との時間はとても短いものでした。そんな短い時間の中でも『Lydia(リディア)』は私自身が大人としてどのように接していくべきかを教えてくれました。リディアはとても能天気で大胆で天真爛漫なのに、私以外の家族の言うことは聞かない子でした。その時のことを話すと両親はそろって、本当に難しい子だったと笑いながら話しています。
リディアが虹の橋を渡ってしまった頃。父の同僚の方が我が家のペキニーズ好きを知っていて、その方の家の近所のペットショップにペキニーズがいるよと教えていただいたんです。すぐに家族と会いに行き、そこで出会ったのが『Lyric(リリック)』でした。
我が家に来た初めての男の子。とても甘えん坊でやんちゃで優しいリリックはすぐに我が家のアイドルに。

そしてタイミングは重なるもので、母がその頃にアメリカのペキニーズのブリーダーさんに女の子をお願いしていたのですが、このタイミングでご縁があり、写真を送ってもらったところ母がすぐに恋に落ちて我が家の子となってくれたのが『Filly(フィリー)』という女の子。 アメリカのノースキャロライナまで迎えに行き初めて会った時の印象は…頑固で気が強そうでした。私の印象そのままの気難しくて気の強い女の子でしたが、不器用に甘えてきてくれるところがとてもかわいい子でした。

さらにそのころの我が家は犬を引き寄せる磁石でもあるかのように、やはり母がお願いしていたチベタンスパニエルが生まれたという連絡がありすぐに我が家の子にと伝えた母。飛行機にのって羽田空港へ来た子は初めての大移動に疲れてポーっとしていた『Coco』という女の子でした。この子は車の中で熟睡をして復活したとたん、彼女らしい活発で物おじしない性格を見せ、我が家の長男リリックに体当たりするなど一番の運動神経の良さとお転婆ぶりを発揮していました。

この短い時期に一気に3匹のお姉さんとなった私は褒めて、何度も言い聞かせて出来たらほめたたえてを繰り返して人間と暮らすルールについて教えていました。ただ、楽ちんだったのがリリックが理解して覚えると、伝言ゲームのように下の子たちにきちんと伝わったことです。これは本当に素晴らしいとおもったのと同時に、悪さも伝わるのでいたずらが3倍になって大変でもありました。

結婚 シンガポールでの出会い

主人と出会い、結婚を機にシンガポールに住むことになりました。そこでペキニーズの『Lycia(リシィア)』と『Farica(ファリカ)』に出会います。

実家の犬たちは両親の犬なので連れていくことができず、それでも犬がいない生活はどうしても考えられなかった私は早速リサーチ。Lyciaとはシンガポールのペットショップで出会いました。私が探しに行った時に彼は上から私を見下ろしていて、上を見たときにしっかりと「やぁ!僕君が来るの待ってたよ」と言われた気がしました。
彼はとてもマイペースで、肝が据わっていて、さらに平和主義で頑固なちょっと面白い子でした。
私をとても愛してくれて、私も初めて1から自分で飼う犬だったこともありましたが本当に子どものように色々と話しかけながら生活していました。彼は雷が大嫌いな私と違い雷が落ちてもへそ店で寝るような本当におおらかで肝の座った子。結婚してすぐに新しい環境になった私にとってとても心強い存在でした。
2年ほどたってからFaricaと出会います。彼女との出会いは、私の親友のワンちゃんを探しに行ったペットショップでの出会いでした。私はFaricaを見かけたときにびっくり!他のケージに入っている子犬たちは、「見て見て!!」とアピールしていたのに対し、まったくもって自分アピールせず、なんなら『なんでこんな居心地の悪いところにいなきゃいけないの』というオーラを出して、こちらを見てもくれない。とてもペキニーズらしい彼女にものすごく惹かれ、さらに縁を感じたので渋る主人を説得。3日後に晴れて我が家の仲間入りをしました。彼らは私にとっての子供であり、恋人であり、親友であり、偉大なる師匠でした。彼らの生き方を見ているだけで色んな事を学んだように思います。

ちなみに親友はその時に出会ったワンちゃんと恋に落ちてすぐに家族になりました。

 レイキとクリスタルに出会う

出会いといえば初めてのレイキヒーリングと出会ったのもシンガポールでした。レイキヒーリングをやっていらっしゃった日本人の方を紹介していただき、初めてのレイキヒーリングを受けたり、さらにクリスタルヒーリングがあることを知る機会にも恵まれました。

初めてレイキヒーリングを受けたときに、ヒーラーのとてもパワフルなヒーリングを感じ取ることができたのですが、彼女は初日にレイキのパワーを感じ取れる人に出会ったことがなかったようで、『あなたは動物並みに素直にレイキヒーリングを受け取れる人なのね!』と褒められ、嬉しくて気持ちの良いものと思った事を今でも覚えています。

 日本へ帰国

日本へ帰国。相変わらず楽しく毎日を過ごしていたのですが、レイキヒーラーとして活躍していた幼馴染の紹介でレイキに本格的に取り組み、そこからレイキヒーリングのサード(神秘伝もしくは上級)というレベルまで勉強しました。
習ってからしばらくは、自分の家族や友達そして動物へレイキを使ってヒーリングを行っていましたが、いつか他の動物やその家族の方を癒して笑顔にできるお仕事ができればという思いが心にありました。


強烈な気持ちの変化

その後、動物さんたちを癒すことができるお仕事をどうにか形にしたいといつも頭の片隅にあったものの、老犬になったLyciaとFaricaの看護、そして、Lyciaとの別れがあり、その直後に『Lyall(リオール)』との出会いと子育てがありました。そんな中ふと受けた健診で乳がん発覚。ステージ1ということもあり手術と放射線治療で大丈夫ですと言われ入院していた中、なんかもう動くときなんだよ!と背中を押される感覚があって自分にやる気が入っていきました。自宅療養中にFaricaとの別れがありました。彼女は知る限りの人間と暮らすために必要なことをすべて弟のLyallに渡したら、どんどん魂を身体から虹の橋へ飛ばして最後に身体から脱出したようでした。お陰でLyallの子育てもだいぶんラクチンでした。動き出したタイミングでACの勉強会に参加する機会に恵まれてたくさんの仲間に出会い今ここにいます。


どうしてACを始めようと思ったのか。

まだACをよく知らなかったころ、ACの勉強を始めた友人から我が家の2匹のACをやっていただく機会がありました。初めてACがどんなものかを知り、こんな風にお話ができるなんてとても素晴らしい♪と感じて、自分も学びたいとおもっていました。

そして、LyciaとFaricaが高齢になり、色んな病と闘っていたときに、治療をして辛くないのか?どうしたら彼らが気持ちよく毎日過ごせるのか?など、 彼らの思いや気持ちを知ることが出来ればと強く思いました。

彼らが虹の橋を渡った時にある程度時間がたってから再びACをやっていただいたのですが、彼らからのメッセージや疑問に思っていた彼らの気持ちを知ることが出来、心から救われ、ペットロスになることなく、穏やかな気持ちになることが出来ました。

そして、現在のパートナーであるLyallを家族に迎え入れました。
先住犬のFaricaとLyallの関係が悪かったときも、ACでFaricaの気持ちを聞けたことで、とても良い関係になりました。
このような経験からACの良さを知って、自分も勉強したいと思ったのがきっかけです。

今では虹の橋組のLyciaとFarica、そして今私のそばで助けてくれているLyallがACの時に助けてくれています。

 私の思いは、ACを使って動物と飼い主さんの間を取り持ってお互いがさらに幸せに暮らせるように、そして心と体が元気になるように、動物と人間を繋ぐことが出来たら動物と人間の新たな始まりをお手伝いできればと思っています。

 




川島奈緒 

FROM REIKI HEALING認定 レイキヒーラー教師伝

日本アニマル・ハートヒーリング協会認定 アニマルコミュニケーター (プラクティショナー)

連絡先:  [email protected]